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貧乏くじを引く

【漢字】貧乏くじを引く 【読み】びんぼうくじをひく 【意味】災難な目に遭う。損な役回りに当たる。 【例文1】アパート周辺の騒音がうるさい。とんだ貧乏くじを引いたもんだ。 【例文2】町内会長の貧乏くじを引く。 【例文3】上の住人がうるさくて貧乏くじを引く。 割に合わない損な役回りを押し付けられてしまうことを、貧乏くじを引くと言います。 町内会、体育協会、子ども会などなど、率先して自ら働こうとする人以外は話を持って来られた時点で逃げる算段をすることでしょう。 それもそのはず、利益など一円も生み出さない全くのボランティアで尚且つ半端な仕事は許されないという、難事というか面倒事以外の何物でもありません。 誰かがやらなくてはならないのは分っているけど、自分に役が回ってくるのは御免被りたい、それが貧乏くじというものです。 「くじ」とは表現されていますが、クジ箱の中に入っているのは役職の数と同数のハズレクジでしかありません。 能力が足りない・時間が足りない・他に相応しい人がいるなどの理由をつけて、クジを引かずにそっと箱を押し戻そうとするのが大多数の対応です。 ただし他に相応しい人の具体名を挙げるとその人に恨まれかねないので、これは絶対に避けるべきです。 既に敵対している嫌なヤツに押し付けるというならば話は別かも知れませんが、己の欲せざるところ人に施すことなかれです。 最終的に逃れることが不可能になったら観念する他ありません。 往生際悪く駄々をこねて厄介者扱いされても困るので、最低限の仕事を無難にこなすことだけ心がければ任期の間くらいは耐えられるはずです。 もっとも、命や財布に関わるような貧乏くじは光の速さで逃亡するのが当然です。 私は小学生の頃から貧乏くじを引くタイプで、大抵の場合みんなが避けたい方向に進みがちです。 貧乏くじを引くという言葉を聞くと、あまり良い印象を持ちませんが、私は逆に良い思いもしています。 例えば、小学生の時の委員決めで放送委員の人気がなく、いつもじゃんけんで決めるのが定番でした。いつもじゃんけんに勝っていましたが、委員決めの日風邪で学校を休み翌日行くと放送委員になっていました。 知らない間に貧乏くじを引く羽目になっていましたが、放送委員を実際にやると良いメリットがありました。 そのメリットは、お昼の放送担当の日はみんなより10分早く授業を抜け出せて、先に給食を食べることができるという点です。 静かな放送室で食べる給食は、教室で食べるのとはひと味違い美味しく感じた思い出があります。 高校生になってからも貧乏くじを引くことが多く、部活で部長になってしまい色々大変な思いをしました。 しかし、部長をやった事は将来就職する際スキルとして認められるため、貧乏くじを引くタイプでも良い思いをしています。 良い事があれば悪い事もあるというように、人生はバランス良く出来ているんだなと感じる部分でもあります。 その為、貧乏くじを引くタイプでもマイナスに捉えず、プラスに考えるようにしています。

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貧すれば鈍する

【漢字】貧すれば鈍する 【読み】ひんすればどんする 【意味】生活が貧しくなれば、精神や才気まで失われていく。 【例文1】職を失い貧すれば鈍する。 【例文2】収入が減り貧すれば鈍する。 【例文3】妻子が出て行き貧すれば鈍する。 「貧すれば鈍する」とは、才覚がある人物も生活に余裕がなくなれば元々の才能を発揮しきれず衰えを見せるという意味の言葉です。 追い詰められた状態で真価を発揮する人も稀にいますがそれは火事場の馬鹿力のようなもの、常にそのような働きが出来るものでもないでしょう。 失敗すればさらに状況が悪化するとなれば、大抵の人は無難な安全策をとるか無謀な博打に打って出るかのどちらか、すなわち鈍する状態です。 そして何の打開策も無く連綿と続く貧困に喘ぐ生活を続けることになるのです。 貧困から抜け出すキッカケなどそう簡単に巡ってくるものではありません。 簡単に窮地から脱する方法があるならばそれはそもそも窮地ですらないのでしょう。 貧乏人はあれこれ工夫して節約したり節減したりするなか、金持ちはさらなる富を手に入れるために豊富な資金で金を増やす方法を模索するのです。 全く競争にすらならない、およそ絶望的な状況では諦めて貧乏に慣れるより他ないように思えます。 そして一度貧乏に慣れてしまえば、再起をかけるような気概が欠片ほども起きません。 まさに転がり落ちるように零落する道を辿るのですが、元から貧乏だった側からすれば憐れむほどのこともない程度の不幸です。 今の貧乏に苦痛を感じているくらいならば、まだ間に合います。 とりあえず衣服や礼儀に気が回るくらいの、人間としての最低ラインは保っておきたいものです。

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ひんしゅくを買う

【漢字】ひんしゅくを買う 【読み】ひんしゅくをかう 【意味】良識に反する言動をして他人から嫌われる。 【例文1】マナーが守れず、周囲からひんしゅくを買う。 【例文2】抜け駆けしてひんしゅくを買う。 【例文3】騒音でひんしゅくを買う。 ひんしゅくを買うとは非常識な言動をすることによって周りに嫌悪感を与えることです。反感を買う。恨みを買うなども同類語です。 公共機関で携帯で大きな声でしゃべる、席に荷物を置くなどのマナーが悪いと周りの乗客に迷惑です。そういう場面などで「ひんしゅくを買う」と使います。 私の住んでいるアパートの住人にいつもひんしゅくを買う者がいます。近所の定食やに勤めているパートのおばちゃんに聞いたのですが、食べ物持ち込みは当たり前、ロビーの共同スペースにゴミを捨てる、回覧板は2週間はまわさない、玄関前に大きな荷物とバイクを置きっぱなしで通る時も邪魔で仕方ありません。言い出したら切りがありません。駐輪所に止めるように何度注意しても聞く耳持たず、住人からひんしゅくを買っています。いったいどうゆう神経しているのか?よく集合住宅でこんな事できますよね。この前もレジを済ませる時に1円玉をコインケースから取り出し混んでいない時ならまだしもお昼時の忙しい時間帯にですよ?50枚ほど出して清算したらしいです。出したら数えなければいけない。まさに後ろに並ぶ客からひんしゅくを買ったことでしょう。

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品行方正

【漢字】品行方正 【読み】ひんこうほうせい 【意味】心や行いが正しく道徳的に立派で模範になる。 【例文1】彼女の品行方正な振舞いを見習う。 【例文2】親の品行方正を見てきた。 【例文3】品行方正を心掛ける。 人の印象というのは、中身よりも外見の方がかなり重要になります。身なりがみっともない人より、清潔感のある人の方が好印象を持たれやすいということですね。だからといって中身を疎かにしてはいけません。品行方正な姿勢をとることだって大事です。むしろいくら清潔感がある人であっても、中身が非道な人であれば、徐々に他者が離れていくでしょう。 いくら外面だけ取り繕うとしても、人の中身というのは些細なところで出てきます。たとえば挨拶の仕方にしてもそうですし、目の前で転んだ人に手を差し伸べるかどうかなどでも、その人がどういう人柄であるかが分かってきます。だからこそ中身も大事である必要がある、と言えるのです。それに芸能人などで、見た目が気持ち悪いと言われているタレントさんであっても、番組のスタッフさんからは「中身がとても紳士だったので、また仕事をしたい」と言われる人だっています。こうしたことからも、人にとって見た目は大事ですが、中身だって重要であると結び付けられるでしょう。 日頃から自分の行いを正すように気をつけていれば、いつしか品行方正な人間になれるように思えます。そうすればいつしか、たとえ見た目に自信がない人であっても、他者から自然と良い印象を持たれるようになるのではないでしょうか。 品行方正の意味を辞書で調べると、行いや振る舞いが立派な様とあります。「品行」とは行いや振る舞い、「方正」とは正しくきちんとしているという意味だと言われています。思わず座右の銘にでもしたくなる言葉です。しかし、「私は品行方正をモットーにしていきたいと思います」などと軽く口に出して言えそうな言葉でもありません。人に対して礼儀正しくするという意味にも解釈できそうですが、品行方正はもっと深く生き方そのものを表しているためです。辞書の定義通り、常に立派で正しい行いができるかと問われ即座に「はい」と言える人のほうが少ないと思います。完璧な人間はいません。また完璧じゃないから人間らしくて良いのです。しかし、だからこそ日頃から意識して「品行方正」な生き方を目指さなければいけないのだとも思います。自分自身も、品行方正な生き方をしたいと思いますが、どこか仰々しい響きが否めません。そこで「品良く正しく生きる」と噛み砕いて解釈してみようと思いました。もっと噛み砕いて「嘘をつかない」でもいいかもしれません。口に出して言えなくとも「品行方正」という言葉を常に心に留めておけば、何かしら自分の行いや振る舞いに変化が生じてくるのではないかと思います。

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ピンからキリまで

【漢字】ピンからキリまで 【読み】ぴんからきりまで 【意味】最高から最低のものまで幅広く。 【例文1】ピンからキリまでの商品がある。 【例文2】ピンからキリまでまであって悩む。 【例文3】ピンからキリまで値段が付く。 私は少し前まで、イラストなどを学べる学校の教員をしていました。デッサンなどの厳しい入試のないところなので、通っている生徒は初心者からうまい子まで、まさにピンからキリまでいる状態です。 たとえばですが、デッサンの授業一つをとってみても、本当に基本的な描き方が分からない生徒がいるので、最初から丁寧な指導をすることになります。一方で、同じクラスには、小さな物の陰が照明の方向によっていくつもできているのをしっかり描写できる生徒もいて、その子に関してはその子に合った指導をしていきます。 イラストやマンガなども指導していると、学校に見学に来た方に見せる冊子に載せる作品なのに、本当にやる気があるのかと疑ってしまうような作品を出してくる子もいますが、やはりそこはピンキリといったところです。全員がうまい子というわけではありません。そこは教員からも、見学に来た方にしっかり説明しています。 指導していて上達する子の特徴というのがありますが、デッサンをしっかりやった子はうまくなります。逆に、好きなゲームのキャラクターばかり模写している子は全然うまくなっていませんでした。やはり基礎をしっかりやるということが大事ですね。 「ピンからキリまで」とは、最初から最後までのこと、最上から最低までのことをいいます。よく耳にする言葉ですがそもそもの語源はピンはポルトガル語で「pinta」が由来となっており「点」という意味です。ポルトガルから伝わったカルタが関わっていて、カルタやサイコロには「一」の部分が「点」になっていますよね。このことからピンは一を表していたと言われこれが転じて「初め」や「最上」を意味していたと言われています。キリはポルトガル語で「cruz」が転じたとされていて「十字架」を意味しています。この十字架が転じて十、十が「終わり」や「最低」を意味していたという説と、日本語の限りという言葉が限り→切り→キリとなったということから限りを意味し「最後」を表しているという説があります。 このピンからキリまでは、いいものから悪いものまで、価値が低いものから高いものまで、最高から最低まで、と様々な使い方があります。使い方の例えは「宝石にも種類があり値段もピンからキリまであるからね。」などと言った使い方があります。ピンキリと略して使うこともあり、昔はピンが下で上がキリでしたが、現在では反対になりピンが上で下がキリです。言葉はどんどん進化していきますのでしっかりと意味を理解して使うようにしましょう。

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