(37)

tedukurikotoba

手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

Continue reading...
tedukurikotoba

仏も昔は凡夫なり

【漢字】仏も昔は凡夫なり 【読み】ほとけもむかしはぼんぷなり 【意味】仏も昔修行を積む前は凡人であったたとえから努力によって立派になれるという意味。 【例文】仏も昔は凡夫なりというから諦めるな。 「仏も昔は凡夫なり」 仏教の祖・ブッダもかつてはごく普通の人間だった、という意味です。 この言葉は平家物語の一節で、 「仏も昔は凡夫なり われらもつひには仏なり いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」 とつづきます。 平家物語の中では、二重の意味をもった歌として登場していますが、 シンプルに訳すのであれば、 「聖人ブッダもかつてはごく普通の人間だった。 私たちも死ねば仏になる。(※仏教では死ぬと仏になるとされています) ほんとうは誰もが仏となれる本性をもっているはずなのに、 大きな隔たりを感じるのが悲しい。」 となるでしょうか。 現代風に言い換えれば、 「どんな偉人も初めから立派だったわけではない。 さまざまな努力を重ねて秀でた人になったのだ。 私たちの中にも、同じように努力する力は備わっているはずなのに、 自分はそんな可能性から隔てられているように感じる。」 ということになるでしょう。 三行目までの「人間はだれでも同じようにうつくしい可能性をもっている」という思いと、 最後の「いま、自分だけはそこから隔てられているような気がする」という気持ちが、 悲しく響きあうような詩です。 「仏も昔は凡夫なり、われらもつひには仏なり」。 その言葉がどんなに真実でも、 わたしたちもこんなふうに「隔て」を感じることがあるかもしれません。 「隔たり」の正体とはいったい何なのでしょうか。 もしかしたら、それを問うてみることから、糸口が見えてくるかもしれません。

Continue reading...
tedukurikotoba

本末転倒

【漢字】本末転倒 【読み】ほんまつてんとう 【意味】重要な事とそうでない事を取り間違える。 【例文1】アルバイトばかりして学業がおろそかになっては本末転倒だ。 【例文2】思考に時間がかかり過ぎて作業が遅れては本末転倒だ。 【例文3】丁寧すぎるのもいいが、締め切りに遅れれば本末転倒だ。 本末転倒とは重要なことを間違えると言う意味です。 たとえば大学生が旅行に行くためにアルバイトに明け暮れ単位をおろそかにしてはいませんか? 作品を丁寧に仕上がるのはいい事ですが、締め切りに間に合わなくては本末転倒です。。 我が家には小学生の子どもが2人います。最近スマートフォンがほしくてほしくてたまらないようです。お友達に何人か自分専用のスマートフォンを持っている子がいるのも知っています。周りが持ち出すと自分だけ持っていないつらさはわかります。しかし、まだ小学生。スマートフォンといえど10万はします。月々の料金だって7.8000円はします。学業がおろそかになるのは目に見えています。せめて中学2年生くらいにならないとだめだと言い聞かせて今は私のスマートフォンのアプリを使っています。私からしたら中学生でも贅沢すぎます。でもこれも時代の流れでしょうね。あと2年もすればもっと何か進化している気がします。とても怖いです。

Continue reading...
tedukurikotoba

盆と正月が一緒に来たよう

【漢字】盆と正月が一緒に来たよう 【読み】ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう 【意味】盆と正月は家族全員が集まって賑やかな様子から、嬉しい事や楽しいことが重なることをいう。 【例文1】長男が帰省して娘も里帰り出産で盆と正月が一緒に来たようで嬉しい。 【例文2】家族全員が集まると盆と正月が一緒に来たようで賑やかだ。 【例文3】お祝い続きで盆と正月が一緒に来たようだ。 「盆と正月が一緒に来たよう」の言葉は平成時代に於いては、もしかしたら若い方は意味がよくわからないかもしれません。 取りあえず、会社はお盆休みや正月休みは企業によってはかなりの長期休暇の場合もあります。 故郷がある方は毎年、大混雑の中で帰省していますが、 本来は夏休みと捉えるものではなく、お盆は祖先の供養の為にあります。 地方によっては、畑仕事や田植えの時期を経て、作業もひと段落した後に、 祖先の供養の為にご馳走を作り、家をきれいにしてお盆を迎えます。 戦前の日本では、丁稚奉公などに出された子や、 普段はお休みもなく働いていた者もお盆と正月はお休みがもらえました。 戦後の昭和時代には、子ども心に普段は質素な食べ物が並んでいた食卓には、数々の手作りのご馳走が並び、親戚中が集まり、地域によってはお祭りが開催され、盆踊りも霊を慰める意味で踊ります。 大人数で賑わい、子どもにはおこづかいなども貰えるちょっと楽しみな行事でもありました。 お盆は初春と初秋に1年に2度だけ祖先が子孫を訪れ交流するという意味があり、初春がお正月で、初秋が現在のお盆に当ります。 お正月は新しい年を迎えた大事な日なので、おめでたいとの意味もありますが、 祖先の霊が各家庭にやってくる年神を迎える行事でもあります。 現にお供え餅や、門松などは年神が来訪するための準備です。 お盆もお正月も祖先や神様を迎える祭事です。 お休みがあり、ご馳走があり、おこづかいももらえる。 子どもだと、盆と正月が一緒に来たようと2重の喜びの表現に当てはまりますね。 大人は現在においては、きっと孫に会える、息子に会えるなどの気持ちも入っているかもしれません。 プロ野球では福岡ソフトバンクホークスのファンです。 ソフトバンクはアンチも多く、他球団でFA宣言した選手に大金を提示して獲得した過去のイメージが強いからだと思われます。 が、ファンの贔屓目かもしれませんが、ソフトバンクの強さはその育成力だと思っています。 割りとFAの獲得は下手くそでFAで獲得した選手で貢献してくれた選手は少ないように感じます。 一軍の選手が怪我などをして二軍に降格になった場合、二軍から代わりを出すことになりますが、ソフトバンクには控えがたくさんいます。育成出身(三軍)で現在一軍に定着している選手もいます。 ジャパンにも選出された千賀投手、盗塁阻止率今季No.1の甲斐捕手などです。 そんなソフトバンクで今一番勢いのある若鷹は個人的には上林選手だと思います。ご存じ、鷹のイチローです。 上林選手といえばプロ初打席が満塁本塁打で、高卒ルーキーなのにすごい!と鮮明に記憶に残っています。 そんな上林選手の弟さんが甲子園出場を決めた翌日、上林選手はヒーローインタビューを受けており、まさに上林家では盆と正月が一緒に来たような二日間だったのではないでしょうか。 今後、上林兄弟からますます目が離せませんね。

Continue reading...
tedukurikotoba

本腰を入れる

【漢字】本腰を入れる 【読み】ほんごしをいれる 【意味】真剣になって取り組む。 【例文1】本腰を入れて受験勉強に取り組む。 【例文2】30過ぎて本腰を入れて婚活する。 【例文3】本腰を入れて就活する。 ニュースなどでも取り上げられる少子化問題ですが、このままだと日本の人口がどんどん減少していくので、少子化対策に本腰を入れる必要があります。 少子化を実感したのは、私の自宅の近くに母校の小学校があり、運動会の時以外は子どもの賑わう声が聞こえてきません。 その事に対してあまり気にしていませんでしたが、先日同級生と会い話しをしたら、現在1学年2クラスしかないと聞いてびっくりしました。 私が通っていた頃は、マンモス校と言われ1学年12クラスあったので、そのあまりの変化に少子化問題を重く受け止めました。 近所の小学校だけではなく、児童数が足りないので閉鎖する学校も全国的にあり、国の政策としてもっと本腰を入れる事が重要だと思います。それぞれの自治体では、色々な対策をしていますが、直接的な効果があまりなく新たな対策が必要だと思います。 ただ、幾ら対策をしても時代の流れで、結婚しない人や晩婚が増えているなどもあり、中々難しい問題だと思います。 地域によっては、30代の未婚率がかなり高いケースもあるので、今後少子化が進む事はある程度の覚悟が必要そうです。 労働人口が減ると税収も減ってしまい、国の水準も下がるリスクがあるので、良い解決手段があればと思う時があります。 「そろそろ本腰入れる!」とか「そろそろ本気出す!」とか言う人は一生本腰入れない説。 あると思います。 そもそも本腰を入れる時も、本気を出す時もいちいち宣言しないのではなかろうか、と。 いつの間にか本腰を入れていたり、本気を出している、結果論なのではないかなと思います。 数少ないツイッターのフォロワーさんの中にいつも「そろそろ本腰入れるわ」とツイートしているニートのフォロワーさんがいます。 まあまあおもしろいことをツイートする方なので気に入っているフォロワーさんなのですが、彼が本腰を入れた報告のツイートは未だ拝見したことがありません。たったの一度もです。 恐らく彼が本腰を入れているのは大好きであろうコミケの時だけで、宣言していない時だけなのは見て取れます。 そもそも彼はなにに対して本腰を入れる予定なのかすらよくわかりませんが・・・。 いつか機会があれば尋ねてみたいと思います。 ちなみにわたしはというと常に本腰を入れています。 本腰を入れていないとがんばれないからです。 意外にみんな常に本腰を入れて生きているのかもしれません。 本腰を入れてないと殺伐とした平成の世は生き抜けないのかもしれないと首都東京で思うのでした。

Continue reading...
inserted by FC2 system