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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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仏頂面

【漢字】仏頂面 【読み】ぶっちょうづら 【意味】愛想がなく不機嫌そうに見える顔。 【例文1】部長は仏頂面だけど、家では子煩悩なパパなんだよ。 【例文2】上司は仏頂面で印象が悪い。 【例文3】不服で仏頂面をする。 私は感情がすぐに顔に表れやすいタイプのようです。 その為、機嫌が悪い時はすぐに仏頂面になっていたようで、親にそのことを何度も言われたことがあります。 親しい人たちの間ではそれで通じるかもしれませんが、それ以外の場面では仏頂面が原因で、物事が上手くいかなくなってしまうことがあります。 デスクワークでも心の状態が電話に出てしまうこともあります。 その為、仕事中は私的な感情をなるべく抑えるようにしてきました。 繋ぎのバイトで接客業に就いた時、仏頂面に見えないようにするために、毎朝通勤時に口角を上げるようにしていました。 最初は頬の筋肉が痛かったのですが、すぐに慣れてきてその習慣が当り前のようになっていきました。 この習慣のおかげで来客の方にも気軽に声をかけてもらえるようになりました。 口角が下がっていると、機嫌が悪くなくても仏頂面に見えてしまいます。 例え、お客様に非があったとしても、笑顔で上手く対応できるようになりました。 どんな状況でも仏頂面での対応では、相手はそれだけで気分が悪くなってしまいます。 笑顔こそ最強の武器かもしれません。 今後も笑顔で接することができるようにしていきたいです。 仏像の仏さまのお顔はたいてい穏やかで、慈悲深いものです。仏像ブームと言われてかなりの年数が経ちますが、多くの仏像ファンは、そうしたありがたい仏像のお顔に心癒されているに違いありません。 特別な仏像ファンでない私も、たまに仏像を目にすることあると、心が静かに整えられたり、汚れた心が洗われるような気持ちになるものです。 そんな仏さまのありがたいお顔ですが、「仏頂面」はそれとは反対の意味を持っています。不機嫌そうで、見る人を不快にさせるのが仏頂面と考えていいでしょう。「仏」の文字がついているにも関わらず、どうしてそんな良くない意味で使われるのか。 諸説あるようです。いかにもいやそうな顔つきのことを「不承面(ふしょうづら)」と言い、それが転じて「ぶっちょうづら」となり、「仏頂面」の文字があてられたという説。 ふてくされた表情の「不貞面(ふてづら)」から転じたと言う説。 しかし、そのどちらも、なぜ「仏」の文字が使われるようになったのか、腑に落ちません。 別に、如来の登頂に宿る神秘力を仏にたとえた「仏頂尊」が無愛想にも見える顔つきをしているからという説があります。こちらの方が、「仏」の文字が使われている意味が納得できるように思われますが、いかがでしょうか。 いずれにしても、仏頂面をして人を不快にさせてしまうことは、避けたいものです。

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不退転

【漢字】不退転 【読み】ふたいてん 【意味】仏教語で何があっても屈しない信念を持つという意味。 【例文1】不退転の決意は変わらない。 【例文2】不退転で転職を決める。 【例文3】不退転で結婚を誓う。 物事を進めていくためには、時には不退転の心構えで臨む必要があります。 特に大事な場面ではなおさらのことです。 いくら綿密な計画を立てていても、世の中は予想道理にはいかないことが多いものです。 外出しよう思ってあらかじめ天気予報を調べたら、天候は崩れなさそうだと思っていたのに、出かける間際になって急に天候が急変することもあります。 これは空の様子だけではなく、世の中や人生においても同じようなことが十分にあり得ます。 もしかしたら下手に予定を立てずに、そのつどアドリブで行ったほうが上手くいくのではないかと思うこともあります。 先のことに対して安心した途端に、予期せぬことに出会ってしまうということもあります。 しかし、そのような時でも常に不退転の心構えで臨んでいけば、道は開けていくと思います。 いつも逃げ道ばかりを探していると、いつの間にか行くべき道を見失ってしまうかもしれません。 物事をやり遂げるためには不退転の強い決意が必要ですが、集中力は欠かせないと思います。 集中力があることで、予期せぬ事態になっても、何とかそれを乗り越えていけるのだと思います。 天気や情勢が急変して、良くない方向へ行ってしまったとしても、何らかの対策はあるはずです。 諦めずに解決策を求めていく力が不退転に繋がっていくと思います。

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文明開化

【漢字】文明開化 【読み】ぶんめいかいか 【意味】明治時代の初め、服装・暮らし・鉄道・建物など西洋文明を導入して便利になったこと。 【例文1】文明開化によって現代の暮らしが楽になる。 【例文2】日本の技術はトップレベルで文明開化だ。 【例文3】文明開化はまだまだ進歩する。 文明開化のお菓子と言えばカステラですが、最近では色々なタイプのカステラがあって、お土産でカステラを購入する時に驚きました。 生カステラや生地の間にクリームがサンドされているタイプなど様々で、古くからあるお菓子も時代に合わせ変わっていくものだなと思いました。 当時、文明開化の窓口になっていたのは長崎などを始め九州地方が中心で、幕府がある江戸まではかなりの距離があり、外国から伝来した物を国の中心に届けるのは大変だったろうなと思います。 現在では、カステラを食べたい時どこに行っても購入が可能で、便利な世の中になっていますが、なんでも本場の物が美味しいというのが定番です。 関東に住んでいる私は、カステラを食べる場合スーパーやコンビニなどで購入しますが、それなりの期待した味わいを楽しめています。 しかし、以前長崎から転勤して来た人から、手土産の本場のカステラを貰って食べた時、あまりの美味しさにびっくりしました。 普段食べているカステラも美味しいですが、本場のカステラは生地のしっとり感が違い、ザラメのアクセントもバッチリで、正に文明開化の味でした。 それ以来、本場のカステラが好きになり、九州地方へ出張した時には、必ず本場のカステラをお土産で購入しています。 明治に入ってからの日本の文明開化は、その後の日本にも大きな影響を与えていると思います。 今でも少なからず西欧のものは最先端で美しく、カッコよいというイメージがあります。 決して日本の文化が良くないということではないのですが、普段は目にしない西欧文化が何となくイケてる感じがしてしまうのは、もしかしたら今も昔も同じなのかもしれません。 世界中で流行る文化のほとんどは西欧からスタートしています。 中には日本が発祥で世界的ムーブメントを起こす文化もありますが、数は少ないような気がします。 どうしても昔から先進諸国=西欧諸国というイメージがあります。 もし、文明開化がなかったら、この連想イメージも少し変わっていたのかもしれません。 私は日本で生まれて日本で育ってきたので、西欧諸国から見た日本やアジア圏のイメージがどんなものなのかよくわかりません。 もしかしたらエキゾチックで神秘的なイメージもあるのかもしれません。 西欧人から見たらアジア人は全くの異国人です。 見た目も違いますし、言語も文化も違った状態で発展してきました。 まったく異なる人種や文化だからこそ、惹かれあうものがあるのかもしれません。 私は西欧諸国の言語を学んでいますが、そこにも日本語とは全く違うものを感じます。 改めて文明開化の凄さを感じてしまいます。

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文武両道

【漢字】文武両道 【読み】ぶんぶりょうどう 【意味】勉学とスポーツの両方が優れている。 【例文1】文武両道を目指す。 【例文2】進学校に通いながら国体出場だなんて文武両道だ。 【例文3】文武両道は大変だ。 もうすぐ8歳になる息子は、大のサッカー好きです。あえて好きにさせたところもあり、1歳の誕生日に小さいサッカーボールをプレゼントし、いつも公園に行ってはボール遊びをさせてきました。実は夫が学生時代にサッカーをしていたので、息子にはできれば選手レベルになって欲しいと願っています。ただし強制すると逆に嫌がるようになる例もあるので、自然に気が付いたらサッカーだ大好きだったという風にしたいね、と1歳からじわじわと用意していた感じです。ただし、私の望みは文武両道。いわゆるスポーツバカにはなってほしくありません。夫は、今の世の中は何かに秀でていればそれでよし、サッカーに秀でていれば学校の成績なんてどうでもよい、という考え。でも母親としては、学校の成績もできればトップクラスで、かつスポーツ万能だったり、何かのスポーツに秀でている、というのに憧れるわけです。女性はそういう男性を好むからなのかも知れませんが。学業とスポーツの両立、これは学年があがるにつれて、ますます難しくなると思います。既に息子は宿題が嫌いで、とにかく学校から帰ったらおやつを食べて外でボールを蹴りたがるくらいサッカーにはまっています。憧れの文武両道、夫婦の中での統制がとれていないと息子も困ると思うので、一度ちゃんと夫と話し合わないといけないと思っています。 学生時代、部活動で弓道に打ち込んでいたのですが、高校と大学では大きく異なることがありました。それは、自分で練習時間をコントロールする必要性に関することです。高校では、勉学つまり授業に出ることが重要で、部活はその次という考え方が当たり前でした。ですから、授業をサボって弓道の練習をしている生徒はいませんでしたし、もしいたら先生に呼び出され注意されていたことでしょう。あくまで、授業外の時間を自分でやりくりして練習するという考えを誰もが持っていました。ところが、大学では授業に出ようが出まいが、全ては自己責任です。弓道に打ち込み過ぎて、出るべき授業に出ずに道場にこもる先輩がいました。練習時間はいくらでも確保できますので、弓道の腕は確かに上達します。でも、本当にそれでいいのだろうかと思いました。そこで浮かんだのが文武両道という言葉です。 限られた時間の中で、いかに集中して練習するかということが大事なのではと感じました。やるべきことはやったうえで、弓道にも精を出す。それこそが目指すべき姿なのだと思います。実際、弓道に打ち込み授業をおろそかにした先輩は、留年していました。これでは文武両道とは言えません。自分で自分の生活をコントロールすることも、武道を志す者としては重要なのです。 私が通っていた高校は、地元ではそれなりに名の知れた進学校で、スポーツも盛んだったので自他共に「文武両道」をうたっていました。 学生時代も卒業してからも、母校を聞かれてその高校の名前を答えると、「文武両道で素晴らしいね」「〇〇ちゃん文武両道なのね」といつもうらやまれたり褒められたりしました。 でも私は、そう言われるたびにいつもつらく気まずい思いをしていました。なぜなら、私自身は文・武ともにまるっきり苦手だったからです。受験の時は補欠合格でなんとか入学できましたが、授業には全くついていけず成績はいつも下から数えた方が早いほど。毎日ちゃんと授業には出ていたのですが、サボりがちな不真面目な同級生に混じって、補習を受けるのが毎回のことでした。部活も、初めは張り切ってバスケット部に入りましたが、補欠にすらなれず早々に退部。一応美術部に籍だけ置いて、なんとなく過ごす日々でした。 「文・武どっちもなんて贅沢は言わないから、せめてどっちかだけでも得意だったらなぁ」といつも思っていましたが、世間ではそんな風に見てくれません。みんな好意で言ってくれているのは分かっていましたが、実際の自分とのギャップにいつも鬱々としていて、今でも「文武両道の…」と自分から言う人にはちょっと苦手意識を持ってしまいます。

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