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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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任重くして道遠し

【漢字】任重くして道遠し 【読み】にんおもくしてみちとおし 【意味】任務は極めて重くて遂行するには道は長く容易ではないという意味。 【例文】任重くして道遠しで開発まで10年かかった。 どんなことでも捉えようにとっては、「任重くして道遠し」なのかもしれません。 しかし、捉え方を変えることでこの重たい気持ちを変えていくことができると思います。 道が遠いと思うのも、人生は長いと思っているからかもしれません。 しかし、年齢を重ねていくうちに、あるいは病気をした時などは、生きているということのありがたみを感じることがあります。 どんな任務でも自分に不必要なものであれば、わざわざ背負うこともありません。 とかく、さまざまなしがらみの中で生きてしまうと、時には「任重くして道遠し」と感じてしまうのではないかと思います。 同じ状況でもしがらみを強く感じてしまうと、それだけで心の負担が大きくなってしまいます。 また、もしこの任務をやり通さなければという気持ちが大きなストレスになってしまっているのかもしれません。 そういう時は近くのことばかりが気になってしまいがちです。 なので、少し自分の意識を話して見て、客観的、または俯瞰的に世の中を見つめてみることも大事だと思います。 案外、自分が悩んでいることは、大きな世界の中では非常にちっぽけで些細なことかもしれません。 大きな目で捉えていくことで、見え方が変わっていけば、捉え方も変わり、「任重くして道遠し」という心境から解放されるのではないかと思います。 「任重くして道遠し」という言葉は論語に由来します。 字をみたままの意味で責任が重いうえに、なかなかやり遂げるのは困難であるという意味があります。 何かやらねばならないことがあるけれど簡単に遂行できないって時に使われる言葉ですね。 例えば、どこかの国の大統領が国民全員に幸せな暮らしをもたらしたいと思っている時なんかに使えますね。 なかなか一般人には国民全体の幸せを任されることはありませんが。 でも、一般人であっても、どこかの国の大統領よりはずっと小規模ですが、受験や、子育て、仕事など「任重くして道遠し」ということは山ほどありますね。 この論語は「いやあ、今、すっごく大変で、ゴールまで遥かに遠いなあ。」という状況を表すだけでなく続きがあり、「だからこそ、今を一生懸命目的をもって目標を立てて死ぬまでがんばろう。」というふうに続いていると私は理解しました。 そして、人生とはまさに、目標に向かってコツコツやり遂げている途中経過のことなのではないかなあと思います。 私は学生の頃、なんとか英語をものにしたいといろいろと頑張ってきました。 最終的に英語を教える立場にまでなった時に、ぽっかりと気持ちが空いてしまったことがあります。 目標に到達してしまった感じがしたのです。 そして、頑張っていた頃の私と目標に到達してしまった時の私を今俯瞰すると頑張っていた時のほうが充実していたなあと思います。 目標に到達することが人生ではなくて、その目標に向かって努力したりもがいたりすることが人生なんだなとふと思いました。

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二枚目

【漢字】二枚目 【読み】にまいめ 【意味】いい男を指す褒め言葉。今では昔のイイ男を言うくらいしか聞かなくなった。 【例文1】父の昔の写真を見たら二枚目だった。 【例文2】祖父は若い時二枚目でモテたらしい。 【例文3】元祖二枚目スター。 二枚目とは今でいうイケメンのことですが、最近は二枚目という言葉をあまり聞かなくなったような気がします。 二枚目が登場するドラマでは、必ずと言っていいほど三枚目が登場します。 三枚目がいることで、二枚目がより引き立って見えます。 私が今見ているドラマでも、三枚目が登場しています。 もし、これが二枚目ばかりだったら、面白さは半減してしまうかもしれません。 三枚目の味があるからこそ、ドラマが面白くなるのだと思います。 三枚目はそれほどイケメンではないイメージがありますが、中には十分二枚目なのに三枚目の役をやっている人がいます。 これは両方良いとこ取りのような気がして、少しズルイような気がします。 三枚目はキャラクターの面で面白いのが、売りなので、さらに二枚目だったら欲張り過ぎの気もします。 見た目は三枚目なのに、中身が二枚目という人もいます。 こういう人はもしかしたら、第一印象で損をしてしまうかもしれません。 しかし、女性は男性の外見だけを見ているわけではなく、むしろ内面重視の人も多くいます。 そう考えると外見は二枚目でも三枚目でも、中身が二枚目ならば好感を持たれやすいのではないかと思います。 内面はいずれ外見にも表れてきます。 日頃から内面を磨いていきたいものです。 その昔お付き合いしていた彼氏の話です。 かなりかっこいいと言われていて、特におばさまのウケが良く、「あんたの彼氏は二枚目だね」とよく言われていました。 おばさま方は彼氏のことを嵐の松潤に似ている、山田孝之に似ている、などと言い、ただ濃い顔立ちなだけなのですが、とても彼氏のことを崇めていました。 そしてますます彼氏は調子に乗っていきます。 わたしに言わせると中東系の顔立ちで、誰に似ているかと言えば・・・あえて言うならばイラン人、ドバイの石油王に似ている感じで若い世代にはその二枚目っぷりが理解できないようで友人などからは「彼氏、日本人・・・?」と言われていました。 彼氏と言えばかなり繊細な人でわたしの周りで中東系、イラン人、石油王呼ばわりされていることは知らず、おばさま方の謎の高評価で完全に調子に乗っている状態。 そんな時、記念日で高級ホテルに食事に行った時のこと。 わたしが御手洗に行っている間にホテル内を徘徊していたら迷ってしまったようでキョロキョロしていたら、ホテルマンから話しかけられたそうで、それが英語でもなく、聞き取れない言語だったらしく・・・ きっと中東系の言葉で話しかけられたのだと思います。 彼氏はそれ以来二枚目キャラを卒業しました。

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二番煎じ

【漢字】二番煎じ 【読み】にばんせんじ 【意味】二度煎じたお茶は味がないことから、繰り返しでおもしろさがない。 【例文1】毎回同じネタで二番煎じだ。 【例文2】芸人は二番煎じに苦労する。 【例文3】二番煎じは飽きた。 二番煎じというのはすでに存在するものの模倣などをしただけであり、新鮮味がないといった、否定的な意味合いで使われる言葉ですが、昨今のテレビ番組ではこういった二番煎じと言われるような企画がいくつか目立ち、それが視聴者によって批判されているといったニュースがたまに見つかります。実際には二番煎じというよりは、パクリという言葉で批判されることも多いですが、なぜ批判されるのか?と言えば、実態が二番煎じだからでしょう。アイデアをパクっても、元の番組よりも面白いもの、独自の面白さが加わったものが出来上がれば、それは新鮮味があって、付加価値のついた番組ということが言えますから、二番煎じではないです。しかし、アイデアをパクりつつも、内容まで同じようなものになっているという現状があれば、それは視聴者から見れば二番煎じでしかないということで、それが批判の真意なのではないか?と思います。テレビ番組の制作において、二番煎じの路線を貫くのは簡単なのかもしれませんが、視聴者の気持ちも考えないと観てくれないという問題がありますから、すでに存在する番組の二番煎じではなくて、オリジナルの面白さを持った番組を作っていく努力をしないといけないのではないでしょうか?

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日常茶飯事

【漢字】日常茶飯事 【読み】にちじょうさはんじ 【意味】日常生活の中で毎日のありふれた出来事。 【例文1】朝、バタバタして通勤するのは日常茶飯事だ。 【例文2】兄弟喧嘩は日常茶飯事だ。 【例文3】満員電車は日常茶飯事だ。 人は幸せな生活を送っているにもかかわらず、それを幸せと感じないことが多い物です。 例えば私たちは、毎日食事をしています。 人によって違いますが、毎日必ず何がしかの食料を口にしています。 私たち日本人にとって、毎日食事を食べる事は日常茶飯事です。 ですが他の国では、毎日食事をとる事が出来ない国もあるのです。 一日一食すら食べる事も出来ず、ひもじい思いをして国が沢山あります。 この様な国に住んでいる人達から見たら、毎日食事が出来る日本人は幸せだなと思うはずです。 私たち日本人は毎日食事が取れる事が当たり前となっていますから、毎日食事が取れる事を幸せとは思いません。 ですが他の国からしたらこれが当たり前ではありませんから、私たちは毎日食事が食べられる事を幸せであると考えなければいけません。 また毎日自動車に乗っている方は、それが当たり前であり、自動車が使えて自分は幸せだなと考えている人は少ないと思います。 しかし自動車と言うのは誰でも使える物ではなく、一部の人しか使う事が出来ない乗り物なのです。 自動車を日常茶飯事使っている方は、何かのトラブルで自動車が使えないと、とても不便を感じるはずです。 この時やっと、自動車に乗っている自分は幸せだなと感じると思います。 この様に人間と言うのは、日常茶飯事になってしまうと、幸せを感じにくくなってしまうものですから、普段からあらゆることに対して感謝の心を持つように心がける事が大事です。

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