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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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千里の馬も伯楽に逢わず

【漢字】千里の馬も伯楽に逢わず 【読み】せんりのうまもはくらくにあわず 【意味】 【例文】 「千里の馬も伯楽に逢わず」ということわざは、「せんりのうまもはくらくにあわず」と読みます。 意味は、一日に千里(一里は約3.9キロメートルなので、だいたい、3900キロメートルといういことになりますね。)を走ることができる素晴らしい馬は結構いるものだが、残念ながら、一日に千里を走る馬を見わけことができる人がいつもいるとは限らないということです。 つまり、才能ある人は世の中にはたくさんいるが、その才能を発掘できる能力がある人が少ないという意味で使われています。 これって、まさに芸能界のことですよね。 芸能界には、ものすごく容姿の整った人、演技の上手な人、声のきれいな人、司会をうまく進行することができる人、ニュースを伝えるのが上手なアナウンサーなどはいっぱいいますが、その人達のすべてが脚光をあびるわけではありません。 例え才能があったとしてもその才能をわかって、引き出してくれる人に会わないと芸能界で成功することはできないですよね。 芸能界で必要なのは自分を見出してくれる人に会うというラッキーさが必要ですよね。 そういった意味では、先日、キムタクと工藤静香の娘さんが親の名前を大々的に前面にだして、モデルデビューを飾りました。 やはり、そうやって、使えるものは使って自分を見出してもらわないといくら才能があったとしても、芸能界で生き残れないので、私は親の七光りと言われたとしても、いいデビューの仕方だと思いました。 千里の馬とは千里もの長い道のりでも駈け通せる程の名馬の意で、伯楽は数多くの馬の中からそんな名馬を見抜くことが出来る人物の事です。 千里の馬も伯楽に逢わずとは、名馬は必ずいる筈だけれど、名馬を名馬に為し得る伯楽に出会う事がなかなか無い、という意味の諺です。 つまり才能溢れる人材も、その才能を見つけて引き出してくれる人物との出会いが少ない事を言い表しています。 某大学のスポーツチームの監督・コーチが選手の一人に、ライバルチームの選手を、単なる言い回しや例えではなく「潰せ」と命令した事件で世情が騒然となりました。 若い選手たちには将来、その世界を担っていく人材となる可能性を秘めています。まさに「千里の馬」が彼らの中にはいる可能性があるのです。 監督・コーチという地位にある人達の本来の責務の一つは、「千里の馬」の発掘・育成の筈。即ち、彼らは伯楽にならなければならない人達なのです。 この諺の如く伯楽に逢う事が少ない中で、己が伯楽になるどころか、逆に、潰そうとしたライバルチームの選手のみならず、自軍の選手の将来を台無しにする様な指導を行うなどは言語道断と言わざるを得ません。 伯楽は、千里の馬を見出す名人ではありましたが、病気の馬の治療を施す名医でもありました。 百歩譲って、彼らは彼らなりの方法で千里の馬を見つけ出そうとしたのかもしれませんが、その方法は故障した馬は使い捨てるという非情なものでした。 病んだ馬を立ち直らせる名医では決してなかったという事です。 その意味でもこの監督・コーチ達は楽伯では絶対あり得ず、その責務を鑑みても指導者としては100%失格といって良いでしょう。

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千慮の一失

【漢字】千慮の一失 【読み】せんりょのいっしつ 【意味】賢い人でも一つくらいは間違いや失敗はある。 【例文1】メジャーリーガーでもエラーする千慮の一失がある。 【例文2】誰だって千慮の一失くらいあるよ。 【例文3】千慮の一失だ。気にするな。 私は普段からちょっとした失敗が多いので、自分のことを過大評価することはほとんどありません。 そのため、たまに何も失敗しないことがあると、逆に不安になってしまうことがあります。 しかし、世の中にはとても優秀な人がいて、周りから見ると完璧と思える人がいるものです。 ですが、どんな人でも100%という人はいないわけで、やはり完全に信用したり、安心せずに、千慮の一失ということを頭においておく必要があると思います。 年齢を重ねるとともに、人間には失敗があるのが当たり前と思うようになってきました。 そのため、どんなに優秀な人が「これは絶対大丈夫」と言っても、完全に信用することはなくなりました。 確かに安全神話はどんどん崩壊しているような状態です。 人間が作ったもので100%安全というものは、そもそも存在しないのだと思います。 子どもの頃は大人になるということは、いろいろなことに関して完璧に近づいていくことだと思っていました。 その為、大人は子どもよりも信用できるとも思っていました。 しかし、自分が大人になるにつれて、その考えは間違っていることに気が付きました。 どちらかといえば、私利私欲のために動いている大人の事情がたくさんあって、それに騙されないようにしなければいけないことを身につけていく必要があるとおもいました。

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千里眼

【漢字】千里眼 【読み】せんりがん 【意味】先の事を見通す能力がある人。 【例文1】千里眼が言うんだから安泰間違いなし。 【例文2】彼女は千里眼で思いどおりにうまくいく。 【例文3】千里眼で人格を見抜く。 「千里眼」とは遠隔地の出来事を直覚的に感知する神秘的な能力のことです。千里というのは非常に遠い距離のことです。日本の感覚だと一里が4キロメートルですから千里は4000キロメートル。そこで起きていることがつぶさにわかるのであれば確かに神秘的な能力と言わざるをえません。この千里眼を持っているとされる神様がおられます。広目天様です。千里眼をもってこの世を観察し仏の教えと仏に帰依するものを護る神様です。帝釈天の配下であり四天王のうちのおひとりで西方を護る守護神です。日本に残る最古の広目天像は法隆寺金堂に祀られています。木像で7世紀のものとされる国宝であり、中国古代風の直立姿ですが左手に経巻、右手に筆を持っています。このお姿からすると学者タイプの武神です。力が強いばかりの将軍だけがそろっていても戦には勝てないことを象徴しているようです。ところが時代が経つと、広目天様のもつ物はさまざまで浄瑠璃寺四天王像はやはり木像で平安時代後期の国宝ですが、左手は鉾、右手は羂索を持っています。興福寺四天王像も木像で重要文化財で12世紀のものですが、そのお姿は左手は鉾ですが右手は拳印です。また、有名な東大寺戒壇院の四天王像は、塑像で8世紀の国宝ですが、広目天様は邪鬼に乗り左手に経巻、右手に筆を持って眼を細めにして何かを見つめています。目を見開いているものの方が多い中珍しいです。お寺さんに参詣したら広目天様を探してみるのもおもしろいですね。

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千里の道も一歩から

【漢字】千里の道も一歩から 【読み】せんりのみちもいっぽから 【意味】大きな事を始めるときはまず、手近な所から努力すると成功する。 【例文1】露店から雑貨売りを始めたところ店舗を持てるまでになった。千里の道も一歩からだ。 【例文2】千里の道も一歩からで路上ライヴをする。 【例文3】千里の道も一歩からでチラシのモデル業から始める。 親友と呼べる友達が病気で入院してしまいました。 幸い大事には至らなかったのですが、元気だけが取り柄の友人でしたから、病気になって気弱になっていました。 私はそんな友人を励まそうと思い、千羽鶴を折る事にしたのです。 とはいうものの、千羽の鶴を折るのは口で言うほど簡単ではありませんが、千里の道も一歩からということわざを思い出し、真心を込めて折り始めました。 最初の十羽ぐらいまでは、楽しく折る事が出来ました。 しかしそれを超える辺りから、徐々にめんどくさく感じるようにりました。 そもそも私は飽きっぽい性格で、何をしても長続きがしません。 今回の千羽鶴もその悪い癖が出てしまい、折る事に飽きがきました。 それでもしばらくの間は、何とか頑張って折っていました。 しかし百羽辺りで折るのをやめてしまったのです。 しばらくの間ぼうっとしていたら、病気で落ち込んでいる友人の顔が頭の中をよぎり、こんな事をしてちゃいけないと思い始め再び千羽鶴を折り始めました。 何とか千羽鶴を折りあげ、友人のお見舞いに持って行きました。 友人はとても喜んでくれたので、がんばって折って良かったなとしみじみ思いました。

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