(30)

tedukurikotoba

手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

Continue reading...
tedukurikotoba

杖に縋るとも人に縋るな

【漢字】杖に縋るとも人に縋るな 【読み】つえにすがるともひとにすがるな 【意味】杖には縋っても人の助けに頼るなと言う戒め。 【例文】杖に縋るとも人に縋らないで先ず自分で考えよう。 「杖に縋るとも人に縋るな」という言葉の意味は、安易に人に頼ってはいけないという意味です。 「自己責任」「人に迷惑をかけてはいけない」というのは、現代の日本でもよく言われていることですね。 しかし、本当にそれが正しいのでしょうか? たしかに、杖があれば歩けるのなら、人に助けてもらう必要はないかもしれません。 頑張れば自分の力で歩けるのに、人に頼ったり車いすを使ったりしていては、足腰が弱ってますます歩けなくなってしまうかもしれませんよね。 でも、杖をなくしてしまったり、壊れてしまったら?足が痛くなったり、とても疲れてしまったら? そんなときも無理をして人に頼らず、自分一人で何とかしようとする必要はないのではないでしょうか。 人はみな、一人で完璧に生きていくことなどできません。食べ物ひとつとっても自分一人では作れないし、きれいな飲み水だって自分で作るのはとても大変です。 誰かのために働くから給料がもらえて、生活できるのです。 だから、自分にできないことは人に助けてもらって、そのぶんほかにできることがあれば誰かの役に立てばいいのではないでしょうか。 人にはそれぞれ苦手なことと得意なことがあるのだから、苦手なことは得意な人に頼んで、自分は得意なことを活かせばいいのです。 「杖に縋るとも人に縋るな」という言葉は、一部の人には耳が痛く感じることでしょう。 この言葉は、安易に他人を頼ったり、助力を求めてはいけない、といった意味で使われます。 私自身、社会人になったばかりの時は、この言葉がグサッと刺さるような出来事がありました。 私は美容の職に携わっていて、完全に技術が物を言う世界で働いています。 しかし、働いたばかりの時は技術も未熟であるため、なかなか一人の戦力として扱われることが無かったのです。 そこで奮起する性格なら良かったのですが、その環境に甘んじていて、先輩を常に頼るようになっていました。 そんなある日、私は急遽一人で現場を任されることになり、誰の力も借りられない状況に出くわすこととなりました。 今まで周囲に頼っていた私は、まさかの展開にとても慌てました。 そして、案の定お客様に満足してもらえるような結果を出すことができなかったのです。 その時初めて、自分で力をつけることの大切さを感じました。 周囲と協力することは仕事をする上で需要ですが、頼りきるということでは自分自身成長がありません。 思い返すと甘ったれの自分に腹が立ちますが、こうした経験があったからこそ、向上心が芽生えたのだと思います。 「杖に縋るとも人に縋るな」という言葉は、新入社員に覚えておいてもらいたいものですね。

Continue reading...
tedukurikotoba

鶴は千年、亀は万年

【漢字】鶴は千年、亀は万年 【読み】つるはせんねん、かめはまんねん 【意味】鶴と亀は寿命が長く縁起が良いとされる。長寿を象徴とする縁起物。 【例文1】鶴は千年、亀は万年で両親には長生きしてもらいたい。 【例文2】鶴は千年、亀は万年で孫の晴れ姿を見るまで長生きする。 【例文3】鶴は千年、亀は万年還暦を過ぎても元気に過ごす。 鶴は千年、亀は万年をテーマにした記事 「鶴は千年、亀は万年」という言葉は、中国の仙人が鶴や亀に乗って移動する様子などから出来たイメージのようです。 使われ方としては、長寿を祝う際に長生きする動物の例としてあげられます。 海に千年潜み山で千年暮らした蛇は龍となるといいますから、千年も生きたならは鶴が鶴のままのはずもないでしょう。 鳳凰や不死鳥、フェニックスに類する超常的な存在になって秘境で発見されたりしてもそれほど不思議とは思えません。 実のところ鶴の寿命は野生では20年から30年、動物園で丁重に扱われても50年から80年が精一杯のようです。 亀の寿命は、ペットの小さな亀でも飼育の方法によっては20年以上生きると言われます。 正確な記録がないため推測でしか測れないものでは200年以上生きているという亀も存在します。 正直に言って、どのくらいが寿命なのか見当がつきません。 とりあえず1万年も生きた亀が存在してしまったならば、それなりの知性をもって穏やかにすごして欲しいものです。

Continue reading...
tedukurikotoba

鶴の一声

【漢字】鶴の一声 【読み】つるのひとこえ 【意味】議論してもなかなか決まらない中、権力者の一声で決まること。 【例文1】祖母が孫に怒っても効き目ないが、母親が怒ると鶴の声で黙る。 【例文2】意見がまとまらないので、鶴の一声がほしいところだ。 【例文3】妻の鶴の一声で静まる。 多くの者が集まって議論すると、互いの意見が全くかみ合わず長い長い議論は終わりも見えない状況は、何度遭遇しても精神肉体共に疲れ果てさせます。 最終的には最高責任者とその配下の思惑で事は定まる運命にあるのですから、茶番としか言いようがありません。 それでも尚、話し合いという形式が未だに存在することには何の意義があるのでしょう。 まず考えられるのは、多くの社員から意見を聞いたという事実が取りあえず欲しいのではないかということです。 部下の意見には一切耳を貸さずに全て好き勝手に取り決めて実行させるのはいささか外聞も悪そうです。 加えて全ての判断をするということは、全ての責任を負うというリスクまで背負い込みます。 意見を採用して仕事を任せてみた、というならば責任を負う部分はかなり軽減されるでしょう。 次に考えられそうなのは、経営方針など特に何も考えていないということです。 大きな損失を出さずに、それまでの手法を続けるだけでもそれなりの利益は見込める場合がこれです。 誰かがリスクはあるけど大きな儲けが見込めそうなプロジェクトを提案するという面倒ごとを持ち込まなければ会議の必要すらありません。 しかし、何もせずに働いていて昇格することなどないならば、会社の社運を賭けるような仕事をあえて提案する人もいるのです。 そういう人間には鶴の一声すらも馬耳東風、空気も読まずに無駄な会議は今日も続くのです。 もしも学生さんであれば部活やサークルなどで、社会人であれば会社で、誰かと揉めてしまうことはあると思います。ときには激しい口論になることもあるかもしれません。もしかするとお互いに「こうすれば組織が改善されるはずだ」という意見を言っただけなのに、その内容がお互いの信念と異なっていたがため、口論になってしまったのかもしれません。このようにお互いが改善策を提案したにも関わらず、それで揉め事が起きてしまうのは悲しいですね。 仮にこのような状況に陥ってしまった場合、強い権力を持つ人、すなわちリーダーが鶴の一声を浴びせてしまうのも有りでしょう。特に先に述べたケースであれば、揉めている当人たちは「組織を良くしようとしている」ことが見受けられるため『組織のことを考えて動いている人』だと言えます。そのような人であれば、組織のトップであるリーダーの言うこともきちんと聞いてくれる可能性が高いでしょう。 組織を良くしようとしてたくさん意見を出し合うのは、その組織に属している人がそれだけ組織のことを愛しているからだと思います。組織を愛せるのは良いですが、そのせいで意見を出し過ぎて揉めてしまった場合は、いったんリーダーが場を静めさせて、もう一度みんなで頭を冷やしてから話し合うのが良いでしょう。

Continue reading...
tedukurikotoba

面の皮を剥ぐ

【漢字】面の皮を剥ぐ 【読み】つらのかわをはぐ 【意味】裏の顔の悪事を暴いて決着を付ける。 【例文1】二重人格みたいな面の皮を剥いでやる。 【例文2】いつか面の皮を剥いでやる。 【例文3】媚びた面の皮を剥ぐ。 周りにいる人の中に、図々しくて厚かましい人はいませんか。もしくは今はそういう人がいなくても、図々しくて厚かましかったと思える人が過去にいませんか。もしかするとそういう相手に「恥をかかせてしまいたい」と感じたこともあるのではないでしょうか。しかしそういう気持ちを抱えても、何もできないまま終わってしまった、もしくは何かするのが怖い、という人はいると思います。 しかしあなたが、相手の面の皮を剥ぐことを望んでいるのだとしたら、他の人もあなたと同じ気持ちを抱えている可能性が高いです。表面には出さなくても、心の中では感じていたりすることがあると言えます。つまり他の人もあなたと同様に「あの人は厚かましいから嫌だ」と思っていることが有り得るのです。そして中には、その嫌な気持ちを心の中に留めることができず、つい嫌な相手にぶつけてしまって、相手を罵倒してしまったり、手を出してしまうような人だっています。 ですからあなたが、そういう嫌な相手に対して「恥をかかせたい」と思ったときは、行動には移さず「きっとみんなも同じ気持ちだろうし、こんな相手はどうでもいい」と、相手の存在を流してしまうのが良いでしょう。世の中そこまで甘くないので、そういう人はどこかで必ず痛い目に遭います。

Continue reading...
inserted by FC2 system