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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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我が仏尊し

【漢字】我が仏尊し 【読み】わがほとけとうとし 【意味】自分が信じるものだけが正しいと思い込んでいる。 【例文】我が仏尊しで視野が狭い 「我が仏尊し」とは、自分の信じるものだけをやみくもに大切にして、ほかの物を顧みない狭い心の状態のことです。そのような心掛けでは、ほんとうの心の豊かさや幸せを手に入れることなどできません。たとえば、自分の働いている会社が一番素晴らしい、社長の考えがすべて正しいと思っている会社員は、上に言われたことは何でも正しいと思って疑いません。そのような会社員はたとえ間違った指示でも訂正することなく従うので時間とお金の損失を招きます。やがて、会社に都合の悪いデータを隠したり改ざんしたりすることにもつながるでしょう。これでは会社をよりよくするアイデアなどまったく出るわけがありません。会社にとっても、取引先やお客さんにとっても損です。本人も成長することができず、一生会社の言いなりで出世することも給料が上がることもできないでしょう。それに会社が潰れてしまったら、共倒れになるしかありません。これは国の組織にも同じことが言えます。また、家族や恋人、友人関係においても同じです。親の言うことは何でも素晴らしいと思って自分で考えずに生きてしまったら、親が死んだときにその人は自分がどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいます。親を超えることもできません。ひとつのことを妄信せず、様々な考えを取り入れることが大切です。 「我が仏尊し」状態だった私の学生時代 「我が仏尊し」という言葉をご存知でしょうか? 私はこの言葉を正直、今まで聞いたこともありませんでした。 自分の教養を高めるためにも、この言葉について調べてみました。 「我が仏尊し」とは、自分の良いと思っていることが他のどんなものよりも優れていると思い込む、ということの例えです。 優れているものを「仏」と例えているのですね。 ふとこの言葉を知って思い出したのは、過去の自分の性格のことでした。 私は自分で言うのも恥ずかしいのですが、中学生の頃は比較的頭が良い方だと思っていて、自分の考えることは正しいと思っていたのです。 まさに「我が仏尊し」といった状況だった訳ですね。 しかし、高校生になってアルバイトを始めたことをきっかけに、自分の知らない世界が沢山ある、ということに気付きました。 それと同時に、自分より優れた考えを思い付く人は沢山いると思い知らされたのです。 その頃の自分を思い返すと、なんて傲慢だったんだろうと恥ずかしくなります。 しかし、そうした経験があるからこそ、常に上を目指していこうとする姿勢が身に付いたのだと感じています。 「我が仏尊し」の考えでは、限られた範囲の思案しかできず、成長には限界がある、ということに気付かされた私の体験談でした。

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和を以て貴しと為す

【漢字】和を以て貴しと為す 【読み】わをもってとうとしとなす 【意味】聖徳太子の憲法十七条の第一条の言葉。争い事をせず、人々が仲良くすることが大切だという意味。 【例文1】商店街は和を以て貴しと為すで活気がある。 【例文2】全員が賛成するまで和を以て貴しと為して話し合う。 【例文3】ご近所さんと和を以て貴しと為す。 和を以て貴しと為すとは何事をなすにも人々が仲良く争い事が起きないのがよいという聖徳太子の十七条の憲法冒頭にある言葉です。 子どもが友達と遊び始めると仲良く遊ばないとだめだよと誰もがお母さんから言われる言葉だと思います。幼稚園や保育園に入園すると必ず先生からもみんなで仲良く遊びましょうと教えられます。そうは言っても小さい子は理解できない事もありますよね。集団生活の中で少しづつ学んでいくものだと思います。 小中学校に上がるにつれ、個人の性格の差があらわれ頭ではわかっていてもそれができない事もあります。特に女子はグループを作りたがる傾向がありますので、行動は同じメンバーになる事が多いですよね。3人グループになるとうまくいかない事も多いです。先生たちもよほどの仲間外れなどがない限り、注意はしませんが、どこのクラスにも一人になる子がいました。 社会人になると環境もガラッと変わり戸惑いましたが、いい印象を与えるには笑顔とあいさつが大事だと思い、自分から積極的に仲間に入っていきました。

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輪を掛ける

【漢字】輪を掛ける 【読み】わをかける 【意味】その上に。程度を大きくする。 【例文1】弟も才能あるが、兄はさらに輪を掛けて優秀だ。 【例文2】妹も美人だが、さらに輪を掛けて姉も美人だ。 【例文3】昨日よりも輪を掛けて料理が上達した。 「輪を掛ける」とは「一層はなはだしい様子にする。話の内容などを誇張する」ということです。今の若者言葉でいえば「話を盛る」といった感じですね。「信長公記」などによると桶狭間の戦いで、織田信長は2万の今川義元軍を2000の兵で打ち破ったかのように書いてあります。これは明らかに話に「輪を掛けて」あるというのが最近の定説です。今川家の人質となっていた松平元康(のちの徳川家康)と今川方の武将・朝比奈泰朝はそれぞれに織田信長方の前線基地である丸根・鷲津砦に攻撃をしかけます。そして両砦は陥落し、今川方は緒戦で勝利を収めます。これを受け、後方の沓掛城で戦況を見守っていた今川義元は本隊を率い、大高城に向けて進軍を開始します。この時の義元直属の兵力は5000ほどで、他の2万の軍勢との連携を欠いた状況で行軍していました。そのうえ、桶狭間の戦いの日は目の先も見通せないほどの豪雨となっていて、今川軍は油断をして戦場なのに休息をとっていました。そこへ、信長が2000の兵で攻め込みました。急襲です。そうなれば兵の数は問題ではありません。今川義元は討ち死にし、信長は天下を取る第一歩を踏み出すのです。そして彼が話に輪を掛けたとしても誰も訂正できないのです。何しろ天下人ですから。

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我を忘れる

【漢字】我を忘れる 【読み】われをわすれる 【意味】自分の言動が冷静に判断できない。自分を見失うくらい集中する。 【例文1】我を忘れて気が付いたら10時間ゲームをしていた。 【例文2】我を忘れてスマホに夢中になる。 【例文3】我を忘れて救助にあたる。 我を忘れるとは心が奪われるほどぼんやりする。冷静な判断ができないくらい自分を見失うという意味です。 皆さんも一度はなったことあるのではないでしょうか? たとえば川で泳いでいた子どもを必死で助ける姿や、カッとなって喧嘩相手を倒れるなど我を忘れるくらい夢中になっているとうかがえます。 スマートフォンが普及した現代、町中至るところでスマホ歩きをしたり電車に乗れば、大人も子どもも携帯をいじっています。我を忘れて乗り過ごしたなんて事もあるかもしれませんね。 私もスマホに夢中になることがあります。ラインはもちろん趣味のアプリを入れて、日曜大工の写真投稿を我を忘れて4時間も見続けていました。子ども達もSNSにはまり片時もスマホを離しません。部屋に戻ると寝るまでいじっていると思われます。何事も熱中するのは良いことですが、食事や睡眠時間を削ってまで周りが見えなくなるほどやり通すにも少し考えさせるものがあります。

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